2009-01-01から1年間の記事一覧
僕は両手を広げた。何もない空に向かって、心の空に向かって。
気づいても、気づかなくても世界はコラボレーションで成り立っている。
誰でも一度くらいは、愛する人の笑顔に救われたことがあるはずだ。
芸術においては、最上のものも、最低のものも、美しいものも、きたないものも、富めるものも、貧しいものも、幸福なものも、不幸せなものも、すべてが素材である。
1年後、5年後、10年後を考えるのは常識だが、できれば、100年後、1000年後を考えるのも常識にしたい。
希望のない苦悩を綴った小説を読んで、希望のある苦悩を感じた。
僕は、一秒前にも、1分前にも、10分前にも、1時間前にも、1日前にも、1週間前にも、10日前にも、1ヶ月前にも、3ヶ月前にも、半年前にも、1年前にも、5年前にも、10年前にも、その前にも、息をして生きていた。
全てが許されている世界があったとしても、全てが手に入るわけじゃない。
僕の祖先は粒子であり、原子であり、分子であり、単細胞であり、多細胞であり、魚類であり、両生類であり、哺乳類であり、猿であり、猿人であり、原人であり、現代人である。
もしビッグバン自体が、実験の1つだとしたら、僕達はなんなのだろうか。
現実にこだわり過ぎると、未来からも遠ざかってしまう。
生を愛するように、死を愛してみたい。
人間の平均寿命を日数に換算してみたら、意外と短いことに気づいた。
自由とはある意味において、大きな檻にすぎない。
地球の資源を全て使い切った時に、人類は何を地球に残せるのか考えたことがあるのだろうか。
人間以外の生物は、貨幣の価値なんて信じてないし、価値があるものとも考えていない。
真理はありきたりな常識で証明されるものではない、もっと直感的なものだ。
僕達はどこかで生まれて、どこかで生きて、どこかで生を終えるだけだ。
家族っていいなと思うときが、1日1回くらいはある。
時間は残酷だが、限りなく優しい一面もある。
もっとやれる、もっとできると、いつも思って感じて生きていこう。
おもしろいことを考えていたら、つまらないことを忘れた。
神はそこにいることはいるが、ほとんど何もしてくれないか、見てみぬ振りをすることが多い。
声にださない言葉のほうが、本当の気持ちを言っていることが多い。
書かずにはいられない物語だけを書いていきたい。それが、残酷でありふれた悲劇でも、退屈でつまらない喜劇でも。
言葉は生き続ける、その言葉を欲している人がいる限りは。あるいは、その言葉を愛している人がいる限りは。
熱く成し遂げられる革命もあれば、静かに成し遂げられる革命もある。
ピンチはチャンスだ。本当にやるべきことが分かるから。
自分が正しいと思う事をするためには、時としてかなり勇気と忍耐が必要だ。
幸福は幻だが、その幻を信じるのも悪くない。